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ここは死者のおごりだたらふく食え
2019年09月12日
消息というのは嬉しいものだ。
ああ、まだ生きていたのか、それどころか、まだまだ活動的でもあったのか、という喜びを超えるものはないのではないかと思われるほど。
とはいえ、自分の消息というものが、そのようなものであるとは思えないが。
久しぶりに会った人に「死んでいると思っていた」と言われたときに、ショックを受けるよりも、むしろしっくりきたときのことを思い出す。そうだ、私は多くの人のなかですでに死んでいるのだ。
誰にも会っていない私、連絡先を誰にも知られていない私は、あえなくなったり連絡がとれなくなった人たちのなかで亡霊だ。
これまで出会ってきたすべての人のなかで、私は生者としてではなく死者として存在している。
こうしてたった一人でキーボードを叩いている私は確かに生きているのだが、同時に、死んでいる私が人々の心のなかに多数生きているということはなかなか面白いことではないだろうか。
すでに死んでいると思っていた人間が、いきなり目の前に現れるときの驚きを考えると、それだけで愉快になる。ふいに人前に姿を見せたくなる。
http://merlinmusic.com/
ああ、まだ生きていたのか、それどころか、まだまだ活動的でもあったのか、という喜びを超えるものはないのではないかと思われるほど。
とはいえ、自分の消息というものが、そのようなものであるとは思えないが。
久しぶりに会った人に「死んでいると思っていた」と言われたときに、ショックを受けるよりも、むしろしっくりきたときのことを思い出す。そうだ、私は多くの人のなかですでに死んでいるのだ。
誰にも会っていない私、連絡先を誰にも知られていない私は、あえなくなったり連絡がとれなくなった人たちのなかで亡霊だ。
これまで出会ってきたすべての人のなかで、私は生者としてではなく死者として存在している。
こうしてたった一人でキーボードを叩いている私は確かに生きているのだが、同時に、死んでいる私が人々の心のなかに多数生きているということはなかなか面白いことではないだろうか。
すでに死んでいると思っていた人間が、いきなり目の前に現れるときの驚きを考えると、それだけで愉快になる。ふいに人前に姿を見せたくなる。
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